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【GI West Japan】MMA引退から12年、須田匡昇─01─「もっと早く柔術をやりたかったんです」

Masanori Suda【写真】この7という数字を表すポーズの意味は、インタビュー後編で (C) MASANORI SUDA

6月3日(日)、大阪府豊中市の豊中市立武道館ひびきで日本ブラジリアン柔術連盟(JBJJF)公認IF-PROJECT主催の「GroundImpact West JAPAN 2018」が開催される。

同大会ではアダルト黒帯ライト級&オープンにグレイシーバッハJAPANの白石勝紀がダブルエントリーし、マスター1黒帯ライトフェザー級に金古一朗が出場する。

さらにアダルト茶帯ミドル級&オープンに、元修斗世界ライトヘビー級(現ミドル級)王者の須田匡昇がダブルエントリーをしており注目される。柔道家からサンボ、そして修斗と戦い、MMAを引退して12年が過ぎた須田が柔術の世界へ足を踏み入れた理由とは。
Text by Takao Matsui


――須田選手、お久しぶりです。こうしてゆっくりと話をするのは1998年以来になりますね(笑)。

「いやー、懐かしいですね。あの時はフランスでお世話になりました。僕の試合のセコンドに就いてもらったんですよね」

――1998年3月28日にフランスで開催されたゴールデン・トロフィーですよね。あの時はオランダに住んでいたので、なぜか高島記者に騙されて……、いや頼まれてフランスまで同行して須田選手のセコンドに就くことになったんですよね。素人が足を引っ張ってしまい、失礼しました。

「もう20年も経つんですね。あの時、自分が戦ったオヘリアン・デュアルテは、中量級のアーネスト・ホーストと呼ばれるほどストライカーして評価が高かったようですね。後で知って、驚きました。先に知っていたら、ビビって負けていたかもしれません(爆笑)」

――飛びつき腕十字で勝ったんですよね。「“ガードを上げろ”だけを言ってください」と試合前に指示を受けていたのに、「折れ!」としか言えなかったです(苦笑)。

Golden Trophy「でも、凄い試合でした。あの時のルールは、今でいえば巌流島と似ていましたよね。試合場が台になっていて場外があって、パウンドはなかったですけど寝技の時間制限がありました。寝技に持ち込もうとするとデュアルテは嫌がって、反則の蹴りで攻撃してきました。やり返すと、自分だけが反則を取られて。勝つとしたら飛びつき腕十字しかなかったので、うまくはまってよかったです」

――その後、須田選手は修斗の世界チャンピオンになり、DEEPで長南亮選手と戦い、PRIDE武士道のムリーロ・ブスタマンチ戦が最後となりました。引退して12年、最近は柔術の試合に出ているようですね。

「本当は、もっと早く柔術をやりたかったんです。でも当時は、自分が代表を務めるトリニティーサンズで住村竜市朗選手の練習相手になっていたこともあり、なかなか時間が取れませんでした。ジムの指導と練習相手、介護の仕事もしているので時間に余裕が持てなかったんです。住村選手がフリーとなり、自分の時間が取れるようになったタイミングで柔術を始めることができました」

――なぜ、柔術だったのでしょうか。

「原点回帰ですね。自分は柔道をやっていましたし、総合格闘技もトーナメント・オブ・Jが原点です。道着でトーナメントを戦う寝技の格闘技といえば柔術になりますので、すごく興味がありました。

自分のジムで、知り合いがFree Style柔術という名前で教えていたんです。それで、2年前から柔術を習うようになりました。白帯からやろうと思っていたんですが、それでは試合に出られないというので紫帯からスタートしました。大会に出場したら優勝することができたので、茶帯になったんです」

――さすがは、元修斗世界チャンピオンですね。

「でも緊張しましたよ。息子と一緒に出場したんですけど、『パパ、僕が先に優勝したよ』と言われて『わかっとるわ』と言い返す場面もあって。いつも厳しく言ってきたので、プレッシャーがかかる状況でした。しかも教え子たちもいる中で、なぜか自分の試合だけ見物客が増えてきたんです。この緊張感は、半端ない感じでした」

――肩書があるので、注目度が高いのでしょう。でも、かなりしびれる状況ですね。

「紫帯のクラスでも、思った以上に強かったです。これまでの貯金で何とか優勝できましたが、柔術の難しさを痛感しました」

――須田選手からして柔術の難しい部分とは、どういうところですか。

「ルールを全て把握できていないところです(笑)。やればやるほど、難しくなっていくというか。四国選手権では決勝でバックマウントで4点を取られて、すぐに足を抜いてサイドを奪ったんですけど、得点が入りませんでした。あれ? おかしいなと思って」

――バックマウントからのエスケープで、パスガードではないと。

「柔術のルールは難しいなと思いました。その試合で体力を使いきって酸欠になってしまい、オープンは欠場することになりました。スタミナを強化しないといけないですね」

<この項、続く>

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