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2月1日、ALMA FIGHT GYM HOMIESが正式オープン=細川顕─01─「これが流れだった」

Akira Hosokawa【写真】この後、一気に内装が進みプレオープンは既に終えている細川(C)MMAPLANET

2月1日(木)、名古屋市東区にALMA FIGHT GYM HOMIESをオープンする細川顕。既に1月22日からプレオープンし、一国一城の主となった彼を昨年末、まだ道場にマットが敷かれる前にインタビューした。

ALIVEからカルペディアム・ホープ、そして自らのジムを持つこととなった細川、そのジム名にあるALMAのアルファベット四文字。細川が8年に渡り、スポンサードを受けてきた企業との労使、あるいは主従関係のない発展的な相互協力関係は、これからの格闘技界の一つのモデルとなるかもしれない。


──急転直下、ムンジアルの時はカルペディエム・ホープの細川選手として話を伺っていたのですが、このタイミングで自らのジムを出すことになった経緯を教えていただけますか。

「急転直下(笑)。あの時にも少し話したように『いずれ』という気持ちは常にありました。そして、このタイミングだったんです。8年に渡りスポンサードをしていただいているマーシャルワールドさんの名古屋店に寄らせていただいた時に、その1階の店舗が空いていて、しかも借りることできる状態だった。そういうことですよね」

──細川選手はALMAのスポンサードをずっと受けてきましたね。今回、ジムを開くにあたってマーシャルワールドさんとはどのような関係なのでしょうか。

「全てをぶっちゃけて話しますと、さっきも言ったように独立したいという気持ちはありました。何かの大会で物販に来ていたマーシャルワールドの方と話していたら、マーシャルワールド・ジムのようなことを始めたいという話題になりました。

柔術や格闘技、武道用品を製造販売している会社では、すでにジム展開をしているところもありますよね。そして、マーシャルワールドさんも、そういう計画がある。僕もジムを出したい。なら、一度話し合いましょうと」

──トントン拍子に話が進んだと。

「その話に来た時に、1階が空いていたんです。ずっと下にあったスーツ屋さんが移転していて(笑)」

──資本関係などはどのようになっているのですか。

「やるなら、自分で借金して作ろうと思っていたところ、マーシャルワールドさんに融資していただいた形です。融資していただくということは、もちろん返さないといけないということです。金利は相場にはない優しいモノになっていますが(笑)」

──現役選手としてスポンサードを受け、次の人生へ向かう時に主従関係がなく、サポートをしてくれる。それは良い形ですね。

「名前をALMAファイトジムにしたのは、マーシャルさんの意向ではないです。次に続く人が出てくるだろうから、その先鞭をつけるにもということで、長年お世話になってきたので自分の方から、つけさせてほしいとお願いしたいんです。

きっとこれからマーシャルワールドにサポートしてもらっているMMAファイター、柔術家やキックボクサーが独立するだろうから、そういう選手に扉を開けるわけではないですけど、往く方向を見せてあげたいというのはありました。

MMAファイター、柔術家、キックボクサー、マーシャルワールドさんの主力商品である空手関係など、色々な可能性が広まるかと。これが流れだったんだと思います」

──偶然のような必然のような。

「アンテナを張って偶然を必然にしていった。ただ、『やりたい』、『やりましょう』となったのは絶対的な信頼関係があったからです。長年サポートしていただき、だから僕の個人経営のジムですけど、ALMAの名前をつけたかったんです。もう8年も協力してもらってきたので。

格闘技のジムって、格闘技が好きな個人が助けてくれるから成り立つようなところも少なからずあるじゃないですか。でも、そんな出会いって奇跡のようなもので、誰もがアテにできるモノじゃないと思います。

そういうなかでこのような形でジムを出すことができたのは、選手として頑張って来て応援していただいた発展形なので、そういう形の関係でジムを開くことができるような格闘家が増えていけばまた業界も変わって行けるのではないかと思います。

何より、僕のジムでは道着が欲しかったり、ラッシュが欲しくなると上に買いにいけば良いので(笑)。凄く良い環境ですよ」

──新栄ということで、車道にほど近い気もするのですか。

「それは社長(鈴木洋一ALIVE代表)にも話しました。やはり気になることなので真っ先に話にいかせてもらって、社長から『全然構わない』と快く了承していただけました」

──ピッカリ頭……でなく、太っ腹ですね(笑)。

「アハハハ」

──カルペディエム・ホープの杉江アマゾン大輔選手に独立の話を伝えた時はどのような反応でしたか。

「それはいつか来るモノだから、と。『俺の方で出せたら最高だけど、残念だけどその状況にはないから』と言ってくれました。杉江さんには杉江さんのプランもあり、自分を必要としてくれていたでしょうし、どうしても申し訳ない気持ちもありましたが、『細川も時間が限られているから、遅くなれば遅くなるほど厳しくなるだろうし、それで良いなんじゃないか』と言って貰えて」

──それも嬉しい言葉ですね。そこも信頼関係が見えます。ジムといのは強い選手、良い指導者を育てるのは独立することを頭に入れていないと。でも、育ててもらった恩、切磋琢磨した人間関係があるので独立は気を遣う部分がどうしても出てきてしまいます。

「ジムの名前からしてもそうですし。僕とすれば申し訳ない気持ちとこれまで一緒にやってくれて感謝の気持ちしかないです。全てをひっくるめてなお、お膳立てのようなタイミングを見逃すことはできなかったです」

──やはりジムの名前はSURVIVEとかsmArtとはできなかったですか(笑)。

「いや、もうそれは……やめましょうよ(笑)。ヒヤヒヤしますよ」

──ハイ(笑)。心のどこかに独立を考えていた。それが現実的になったのはいつ頃なのでしょうか。

「8月の全日本選手権で殿堂入りさせてもらった時からですかね。ずっとやってきて、殿堂入りということで一つの形になった。これからまた1年……ムンジアルを目指すのか、でもこれまでと同じテンションではできないって感じたんです」

──それは現役柔術家として、一区切りを考えているということですか。

「いや、むしろ逆ですね。形になったことで、次のステップというか……同じことを繰り返してやることが気持ちの面を作ることが難しいので。自分の足で歩きたい。自分の足で歩いて、風景を眺めたいと思ったんです」

<この項、続く

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