この星の格闘技を追いかける

【Column 03】今度はヨッケ……、ヨアキム・ハンセンに関して

joachim-jon-olav【写真】デヴィ・アフヤにRNCを仕掛けられるヨッケと、カミラ・グエルステンにRNCを仕掛けられるユノラフ。2003年10月、前にコラムで書かせてもらったレミーガのインタビューの1週間後に撮影した大好きな1枚だ……(C)MMAPLANET

年が明けて、意味もなく明るい1年にしたいなぁということで2017年のMMAについて何か書こうかと思っていたら、ヨアキム・ハンセンが引退をしたという話が伝わってきた。なんでも1カ月前に脳卒中に倒れたとか。

すぐに北欧の知人に彼がどのような情況にあるのか尋ねたが、詳しいことは分からないという。直接のコンタクトを試みたが、今のところ返答はない。こんな事態になったことをファンより遅く知り、その後の連絡もつけようがない状況で何を言っているんだ──と思われてしまうだろうが、自分にとってヨアキム……ヨッケは特別なファイターだ。

ユノラフ・エイネモとヨッケ、スカンジナビアのノルウェーで滅法荒いだけでなく、グレイシーバッハ・イパネマのマルセロ・ヨギの指導の下、基本に忠実な今でいうところのコンバティティブな柔術を修得していた2人。

この仕事を始めた時、並み居る先輩方と同じことをしていても食っていけないと思った自分は、誰も目をやっていないフランス格闘技界に目を付けた。結果、格闘技通信で連載を貰え、他にも仕事を与えてもらえる機会が増えた。で、食っていけるようになるとすぐに初心を忘れ米国とブラジルという──放っておいても飯のタネにあるファイター、大会しか目に入らなくなっていた。

そんな時にノルウェーからエイネモがADCCに現れ、プロ修斗欧州大会で勝利した。そのエイネモから「ノルウェーにはヨアキムっていう凄く強い70キロの選手がいるんだ」と聞かされた。

そして当時、フィンランドではフィンファイトという10分×1R、踏みつけ、頭突き、ヒジ打ちが許された滅法荒いアマチュア(!!)MMAが存在していることを教えてもらった。2人はフィンファイトを代表する重量級と軽量級のエースだった。

まさか、北欧でそんな過激な大会が開かれ、ADCCや修斗で結果を残すファイターが育っていたとは……原点回帰、自分はこの2人の出現により、フランスを回っていた頃のような、知らないモノを知るワクワク感、本当に凄いモノを見たときの高揚感を思い出した。

ロープを掴んで、倒れた相手の後頭部を踏みつけているファイターが、しっかりと柔術を修得している。ヨアキム・ハンセンという選手の試合は絶対に見たいという好奇心と、『俺が伝えないで、誰が伝える』という勝手な使命感に刈られた。

そして、2002年10月にムーミンワールドのあるナーンタリへの玄関口、フィンランドのトゥルクでフィンファイトのプロモーターだったマルコ・レイステンが北欧初のプロ修斗公式戦を開催。初めて生ヨアキム・ハンセンの試合を見た。

78キロ契約でサミ・ヒュッパと対戦した彼は、ハーフガードからのパウンドで淡々と勝利。実力差があり過ぎて強いインパクトを残すにいたらなかったが、ベストファイター賞に輝いた。帰国後、サステインの坂本代表から『誰が一番良い選手でした?』と尋ねられた自分は……ベストファイター賞に輝いたんだからヨアキム・ハンセンの名前を伝えた。

恐ろしく牧歌的な時代だった。同時に今からすると軽々しく口にすべきことじゃないことが多いと冷や汗が出てくるのだが、この一言でヨッケの初来日が決まった。12月、NKホールでタクミと対戦したヨッケは2-0の判定勝ちを収め、翌年3月に佐藤ルミナをパウンドアウト、8月には五味隆典を倒して修斗世界ウェルター級王者になってしまった。

その後、2011年まで9年間もヨッケは日本で戦い続けた。軽口野郎の一言にいつまでも必要以上に感謝してくれて、踏みつけやガードからのパウンドの技術ページの作成なんかも、ウェルカム状態だった。下になった状態からのパウンドにしても、踏みつけにしてもヨッケのテクニックは柔術の基本があるからこそ成り立っていた。

フォークスタイルレスリング・ベースの北米MMAのパウンドとは、明らかにチャンネルが違っており、改めて着目すると本当に興味深いものだ。PRIDE武士道、DREAMと日本で戦い続けたヨッケ、UFCを毛嫌いするウェットな感性の持ち主は、戦う術という部分でも北米MMAが合わないことを敏感に察知していたんだと思う。

とにかく相手のことをガンガン殴り、自分もバシバシ殴られていた。大晦日の大切な一戦を前に練習中に倒れて、意識不明になり欠場したこともあった。「CTスキャンを取り過ぎて、放射能を浴び過ぎている」とこぼすようにもなっていた。

ノルウェー人でスキンヘッド。柔術とMMAに出会っていなかったら、ヨッケは真っ当に生きていなかったタイプの人間だ。そんな自分の過去を悔い、「本能的に本が読めないんだ」と大笑いしていた彼は、戦うことと生きることがシンクロしていた。

2013年に韓国のROAD FCで戦った頃には、体も緩くなっていたが金網に入り続けた。昨年3月、結果的に現役最後の試合は沖縄で行われた修斗公式戦。自分の軽々しい言葉ではなく、本当の意味で氷点下の地でヨッケを見出した坂本さんが、南国でしっかりと北欧の処刑人、ヘルボーイに最後の戦いの舞台を用意してあげたことになる。

今、ヨッケが彼自身の格闘技人生をどのように振り返っているのか、自分は知る由もない。だけど自分を貫いたヨッケは、人生の曲がり角を迎えた自分に対し、再び原点回帰という言葉を思い出させてくれた。こんな形になってしまったけど……。


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