この星の格闘技を追いかける

【Column 02】Summertime Lane, Culvercity & Kさんへ

summertime-lane【写真】宇野と日沖、そして森雄大さん。ある意味、何でも有りの空間がカルバーシティにあった (C)MMAPLANET


今日、日沖発より来年から始める道場=Start Japan MMA, Jiu-Jitsu and Fitnessのロケーションが決まったという連絡があり、ブログも始めていると教えてもらった。早速、ブログを覗いてみると『共同経営者』として前田桂さんが自らの存在を明らかとしていた。

これまで自分の原稿に幾度となく出てきたKさんこそ、この前田桂さんのことだ。ようやく自分もKさんではなく、桂さんと書ける日がやってきた。そして、それは自分と桂さんの新たなる関係が始まることを意味する。

桂さんと初めて会ったのは確か2005年のパンナム柔術の時だったはずだ。半パンでゴム草履で、大阪弁。『なんだ、この人は?』と正直、想った。堀内勇さんを通して知り合ったため、一見してインテリな堀内さんとの違いが明白過ぎて、大人か? と感じたモノだった。

翌年、諸事情によりゴン格を去らないといけなくなった自分は執筆拠点を持たないまま取材だけは続けていた。心身共にきつかった。そんなこともあってか、パンナムの取材の際、体調を崩しホテルで静養している時に──いきなり桂さんが部屋にやってきた。

『体調悪い時は日本食でしょう』と、うどんとおにぎりを持参してきてくれた。そして、市販の薬をあれやこれと買ってきてくれた。この後、自分は同大会に出場していた植松直哉とお弟子さんの森雄大さんと3人でラスベガスへ出稽古の小旅行に行く予定になっていた。しかし、体調を壊したことでこれを取りやめ、カルバーシティにある桂さん宅に寄らせていただき、LA近辺の道場での出稽古取材をすることになった。

それから10年以上、ホージー・グレイシーによると『クーバーシティ』の桂さん宅は、自分の西海岸取材の活動拠点となった。格闘技好きという共通点だけで、桂さんは自分に合いカギを渡し、本人が米国にいない時でさえ、自分の宿泊を許してくれた。

そして自分が出稽古の旅&取材をこれだけやってこられたのも、桂さん宅という拠点がカルバーシティに存在したからだ。

あのカルバーシティのコンドミニアムには、自分の歴史といっても良いほどの思い出がたくさん残っている。

『こんな楽しい夜はないですぅ』とタクミが、ホンのちょっとのビールで涙して喜んだ夜。大量の酒を飲み、巨匠・長尾迪さんの大切な、大切な髪の毛を後方から両手で引っ張った植松が『このハ〇ェ~』と歴史に残る叫び声を挙げた夜もあった。

桂さんがブランケットに包まりリビングで、自分と選手は奥の部屋でエアベッドを使わせてもらう。宇野薫、水垣偉弥、北岡悟、山上幹臣らとは何日も桂さん宅の部屋をシェアした。

夜中に起きた宇野は、トイレに行く時に必ず『おしっこしてきます』と律儀に断りを入れていた。水垣は自分と桂さんがオナラばかりしているのに影響を受けて、外を歩く時も平気でおらなをしたので「歩きながらはするな」と注意したこともあった。北岡の伝説の「モォー」を連呼する得体の知れない牛寝言。気が付けば眠りに落ち、1週間で読書が20ぺージも進んでいなかった山上。

今だから言えるけど、戦極が活動停止を発表する際に──人が公に反論をしないのを良いことに──意味の分からない理由を押し付け、活動停止の理由を自分の記事のせいにしてきた時、北岡と桂さんが『まあ、色んなことありますよ。これ食って元気だして』とラルフスのパウンドケーキを買ってきてくれた。それも、あの部屋だった。

いつもPCに向かって、何やら自分や桂さんには理解のできないモノを作成していた磯野元さんは自分以上にあの部屋に長居していた。杉江アマゾン大輔と師・鈴木陽一さんが一緒だったこともあった。宇良健吾も、当然のようにLA在住のころ桂さんにお世話になっている。

ムンジアルの時期は強烈だ。ムンジアルに出場する選手と弟子、ムンジアルを観戦してから出稽古に行く選手。リビングも奥の部屋も4人や5人が雑魚寝し、世界のケン・ヤマモト先生はソファと壁の間を好み、尋常では考えられない姿勢で眠りについていた。

磯野さん、宇野、植松、森さん、ヤマモト先生が一緒だった時、日沖発が初めてカルバーシティにやって来て、桂さん宅にお世話になった。宇野と日沖のツーショットを上の写真のように森さんのライティング操作(?)で撮影したこともあった。

ここ数年は嶋田裕太がカルバーシティの常連となり、世界を獲る拠点にしていた。残念ながら茶帯の3年間は表彰台の頂点に立つことはできなかったが、嶋田のトーナメントが終わると桂さんが大量のピザとパスタを買ってきてくれて、炭水化物パーティーをするのが恒例だった。嶋田は桂さんがカルバーシティにいなくなっても、ムンジアル制覇のお祝いは炭水化物パーティーと決めている。

今年、長谷川賢と上久保周哉が最後のメンバーとしてカルバーシティにお世話になることができた。行動は一緒にしても、ホテルに部屋を取っていた弘中邦佳、郷野聡寛。金原正徳、所英男、HIROKO、松本光史、飯島貴幸、ランバー・ソムデートM16、自分がすぐに思い出せない選手も含め、本当に色んなファイターが桂さんに足を向けて眠ることができないはずだ。

数年前より帰国を考えるようになっていた桂さん、自分も体力の衰えが顕著になり米国取材はめっきり少なくなっていた。「高島さん、年食った。昔はビール飲みまくって、朝には取材に行っていたけど、すっかり酒も飲まなくなった」。それが桂さんの口癖のように感じれるほど、我々は歳を重ねた。

桂さんが10月に帰国し、来年1月から名古屋で日沖とジムをやる。喋り下手だし、真っ直ぐだし、ピュア過ぎる。自分の感情にも正直すぎる人がこの日本で、格闘技と関係ないことでも、格闘技界でも生きていくのは大変だと思っていた。だから、日沖とジムをやると聞いて、大きなお世話だがまずは一安心。2人揃って銭勘定のできる人間とは思えないのは心配だけど……。

ともあれ、私人Kさんは格闘技界の公人・桂さんとなった。

だから、自分はこれまでのように桂さんと公私の境目のない付き合いはできない。日本格闘技界の人間になった前田桂氏は自分にとっては取材対象であって、バカほど胸襟を開いた漫才のような会話を積み重ねることも、もうできない。

ケジメと遠慮、建前と本音とある一定の距離間が必要になってしまう。だから、今日、この場を借りて一言だけ伝えたい。

桂さん、いやKさん、これまで本当にありがとうございました。この先の幸せを願っています。

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