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【a DECADE 11】10年ひと昔、2003年10月11日 US Showdown

2013.10.11

Ryron Gracie

【写真】10年前にUFCのように浸透しなかったが、グレイシー柔術の神髄を実践で披露していたヒーロン・グレイシー。

MMAPLANET執筆陣の高島学が、デジカメにカメラを変更し取材するようになってから10年が過ぎた。そこでMMAPLANETでは、10年周期ということで高島が実際に足を運んだ大会を振り返るコラムを掲載することとなった。a DECADE、第11回は、10年前の10月11日。カリフォルニア州トーランスのジェイムス・アームストロング・シアターで行われたUltimate Submission Showdownを振り返りたい。
Text & Photo by Manabu Takashima

「結婚式はお祝いの席、幸せな場なので1人ぐらい欠けても大丈夫でしょう。でも、ハワイの試合には自分が行かないと、誰も日本から取材をする者がいない」――などという、自分にとっては正論であっても、社会通念としては説得力『ゼロ』の屁理屈を通し、ROTC04の取材を敢行した僕は、翌朝に飛行機に飛び乗り、さらに太平洋を東へ向かいLAに赴いた。ホリオン・グレイシーがプロ・サブミッション・トーナメントを主宰し、彼の息子のヒーロンとヘナーが出場するというからだ。今更ながら、僕の両親まで式に招いてくれた新しくできた義理の弟が、僕のことを『アニヤン』と呼んで付き合ってくれる環境に感謝するしかない――。やっぱり自分は人間白帯だ。

閑話休題――。折しもUFCを開いてから10年、ホリオン大魔王が動き出し、しかも今度は弟でなく息子を担ぎ出したのだから、見ておきたいという衝動を抑えることはできなかった。ROTR取材は多少は記者としての義務感が存在したかもしれないが、このトーナメントの取材はジャーナリズムも商業的ビジョンもあったわけじゃない。探究心に衝き動かされた行動だった。

MMAで柔術家が負けようが、「グレイシー柔術が世界に広まった証拠」という理論を通してきたホリオンが考案したグラップリングのルールは、以下のようなものだった。
The Ultimate Showdown【写真】ストーリングがマイナスになっているのも要注意、効力があったかは不明。

・時間無制限。
・無差別
・一本か12ポイントを先取した者が勝者
・マウント&バックマウント=4P、サイドが3P。リバーサルが1P
・テイクダウンポイントはなし
・スラム有り
・ヒールフックなど足関節も制限なし
・スタンドが1分続くと、ブレイクが入りコイントス。選択権を得た選手がトップかボトムを選択してグラウンドになる
・グラウンドでは3分間、ポイントが入らないと上下を入れ替え、ボトム側の選手に1Pが加わる。
・体重差が15ポンドある場合は1P、25ポンド以上差がある場合は2P、軽い方の選手に予めポイントが加算されている

サブミッションを重視するとともに、体の小さな選手の健闘という部分にポイントが入るという、グレイシー柔術の優位性を確保するかのようなルールだった。ヒーロンもヘナーも決して小さな部類の選手ではないが、彼らよりも軽量の選手はドイツから出場したペーター・アングラーぐらいのものだった。8人制トーナメントの出場選手は先に記した3選手以外にデイヴィッド・アヴェラン、国原圭悟、ジェフ・モンソン、ランス・キャンベル、そしてトラビス・ルター。柔道家やキックからサブミッションに移行した選手もあり、決して錚々たる――とういうメンバーではなかった。

Renar Gracie【写真】ヘナーに勝利したデイヴィッド・アヴェランはフロリダの有名なサブミッション兄弟の片割れ。弟のマルコス・アヴェランは2005年のADCCで青木真也と戦っている。

今やグレイシー・アカデミーの広報官かつ若きリーダーの役割を担うヘナーは当時19歳、初戦でアヴェランと対戦しリバーサルを3度、サイドマウントを3度許し、12-7で敗れた。ヘナーがガードから果敢にサブミッションを仕掛ける場が多々あり、どちらかといえば護身よりも、実弟ハレックが9年後に開催するようになるメタモリス柔術プロを思わせる試合振りだった。競技柔術では一本を取る姿勢を評価し、それ以上にセルフディフェンスに重きを置くグレイシー・アカデミー。護身という部分にフォーカスを当てたファイトを行ったのが、21歳のヒーロン・グレイシーだ。

ヒーロンの対戦相手はジェフ・モンソン。99年にADCC99キロを制している彼が、大会イチの実績を持つファイターだったといえる。体重差が15ポンド以上あり、予め1Pを有していたヒーロンはガードを取り、3分間耐えることでさらに1Pを加点。トップになると、それほど固執することなくリバーサルを許し、2-1に。再びガードになると、3分間パスを許さない。その繰り返しではモンソンはパス以上の加点がない限り、元から存在したポイント差をひっくり返すことはできない戦いに陥った。

Ryron vs Monson【写真】モンソンを破り、ルールを利して護身をアピールしたヒーロン。

結果68分という長丁場の末、ヒーロンは12-11でモンソンを下している。そのヒーロン、準決勝でトラビス・ルターと戦い、バックマウントを3度許して敗退。決勝はヒーロンを下したルターとアヴェランの間で行われた。両者の対戦はホリオンが考案したルールに則した戦い方ではなく、普通にノーギ・グラップリングを行いルターが12点を先取して優勝を果たした。「ちょっと変わったルールだけど、優勝できて良かった。今度はPRIDEに出たい」というのが、優勝者のコメントだ。

Travis Lutter【写真】トラビス・ルターは、この後MMAでも活躍。TUFシーズン4で優勝している。

ヘナーは自らが攻めるが、パスを比較的許し、ヒーロンは自らはあまり攻めずに、相手の攻撃を徹底して防ぐ。両者の共通点は、一本を取られないこと。致命傷を受けないことを目的とした彼らの戦い振りは、今もトーランスのグレイシー・アカデミーに伝わる、グレイシー柔術らしさが存分に垣間見られていた。にも拘わらず、当時の僕にはそれが理解できずに「策に溺れた」なんて思っていたものだ。

20周年を迎えるUFCと違い、たった一度しか開かれることがなかったアルティメットなサブミッション大会。難解なルールは、グレイシー柔術の理念を律令化し、競技にする難しさを表していた。競技と護身は、やはり水と油だ。ホリオンの三男ハレックが護身を捨て、一本に拘る柔術を選択し、長女ホーズ・グレイシーはポイントがないと両者、失格となるトーナメントを主宰する現状にも通じる。それでも、アルティメット・サブミッション・ショーダウンは、テッポウ返しの妙技と一本を取られないグレイシーの原義が、ヒーロンとヘナーによって実践された数少ない機会――義妹の結婚式をドタキャンするまで取材する価値があるかどうかは別として――やはり、この目で見ておいて本当に良かったと振り返ることができるトーナメントだ。

Marcio Corleta【写真】ファブリシオ・ベルドゥムがセコンドを務めたマーシオ・コウレタは、2年前のムンジアル、ウルトラヘビー級世界王者だが3人総当たりの補欠選出場となり、本戦出場はならなかった。

■2003年10月11日Ultimate Submission Showdown@ ジェイムス・アームストロング・シアター、トーランス:カリフォルニア州 トーナメント結果

優勝  トラビス・ルター
準優勝 デイヴィッド・アヴェラン

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