この星の格闘技を追いかける

【on this day in】11月18日──2003年

18 11 03【写真】この年の5月に名古屋で開催されたプロ柔術にも来日していたドラクリーノ (C)Marcelo Alonso

HEAT FC02「Evolution」
@ブラジル・リオグンデドノルチ州ナタウ、ジナーシオ・マシャジーニョ
「今や米国に次ぐUFC開催数を誇るブラジル。特筆すべきはリオやサンパウロ中心とはいえ、しっかりと他の都市でもイベントが開催されてきた点だ。それだけ各都市にMMAビッグショーが進出する下地があった。1960年代から盛んにバーリトゥードが北東部で行われたことも起因しているが、柔術が広まりUFCが起こってもリオでVTの主催が解禁されなかったことも大きいだろう。今から12年前の今日、ナタウで開かれたHEATにはTUFでブレイク前のフォレスト・グリフィンが出ており、サンタの格好で登場して64秒KO勝ち。ナタウのファンの大声援を浴びている。そんな同大会でヴィニシウス・マガリャエス──ドラクリーノと表記した方が通りが良いだろう──がMMAデビューを果たし、肩固めで一本勝ちを収めた。グレイシーバッハがクルービー・バッハ・グレイシーだった時代に柔術を始め、90年代後半のペナ級ではホイラーに次ぐ実力者といわれたドラクリーノ。彼は自分の世代の柔術家が、柔術家として最も幸せだったと断言する。その時代、バッハではマチャド兄弟の指導の下、護身、投げ、競技柔術、さらにはノーギでボクシング・グローブをつけた練習も行われ、ヘンゾやホベルト・ゴルドというその後の柔術を基礎としたMMAファイターを数多く輩出する名伯楽が参加していた。1995年にベロオリゾンチにアカデミーを開き、道場内バーリトゥードの強さで柔術を当地に普及させたドラクリーノが33歳にして、初めてMMAを戦った。『人生にはチャレンジが必要なんだ』という彼は、この5年後にヒューストンに移住し、2010年にも当地で行われたStrikeforceでも勝利している。素敵過ぎる柔術人生を謳歌するドラクリーノが言ってくれた言葉で、とても心に残った一節がある。『柔術とは長い旅だ。目的地ばかり見るんじゃなくて、旅自体を楽しんでほしい。人生と同じだよ』。この言葉──柔術と人生を入れ替えた生き方が実践できればな、と思う」

on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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