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【New Era APmma】香港&シンガポール、エディ・アング(02)

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【写真】アルナウド・ルポンを一本で下したことで、東南アジアのアップカミングファイターのなかで頭が抜けた存在となったエディ・アング。今後のキャリアアップをどのように考えているのだろうか(C)MMAPLANET

急激に成長を遂げるアジア太平洋のMMA。MMAPLANETでは、「New Era APmma」としてアジア太平洋地区のファイター、関係者を紹介していきたい。

第1弾はイヴォルブMMA所属の香港人ファイター=エディ・アング。「虐めから逃れるためにマーシャルアーツを学ぶようになった」というエディは、金を貯めてはタイ、米国に長期滞在しトレーニングに励んできた。その彼は如何にイヴォルブに根城を持つようになったのか、インタビュー続編をお届けしたい。

<エディ・アング インタビュー第一弾はコチラから>

――アルバイトをして、1ヶ月間の出稽古を行う。凄い情熱ですね。

「LAでワイルド・カード、ボクシングジムにも行ったよ」

――おぉ、フレディ・ローチのところですね。

「どこへでも足を運んだ。トップの技術を吸収したかったんだ。でも、英国ではパーソナル・トレーナーをしてお金を貯めると、年に一度海を渡って最高の指導を受けるようにしていたんだ。自分の街ではずっと一人で練習しているままだった。2011年7月、またムエタイのトレーニングをしたいと思っていた時に、大好きなサーマート・パヤクァルンやナムサックノーイがシンガポールで指導していると分かった」

――そしてイヴォルブMMAの門をくぐったと。

「その時、チャトリが僕の練習を何度か見て、『シンガポールに引っ越してくる気はないか?』と誘ってくれた。びっくりしたよ、カラカワレテいるのかと思った。冗談じゃないと分かって、8月にシンガポールに移り住むことにした。選択肢なんてなかったよ。トレーナーがいない状態で練習する必要もなくなる。

当時はガールフレンドだったワイフも、『引っ越さないといけない』と背中を押してくれた。チャトリは最高の練習環境と同時に、指導してサラリー、そして住む場所まで与えてくれた。翌月にはONE FCの第1回大会が行われたんだ」

――そこでヤン・チュンボに勝利し、シンガポール、そしてイヴォルブMMAのエディ・アングの人生がスタートを切ったわけですね。

「チャトリが僕の人生を切り開いてくれた。タイミング的にはベストだった。心の底から感謝しているよ」

――素晴らしい出会いの前、英国時代の実戦経験を教えてもらえますか。

「一番最初の試合は、16歳の時にアマチュアのMMAだった、アマの試合を3回戦い、こっちに移って来るまで4試合戦った。小さなイベントだよ。ビッグショーはないけど、英国では小さな大会はけっこう行われているんだ」

――エディはOFCで戦ううえで、同じライト級に青木真也選手、そしてゾロバベル・モラエス選手が活躍しています。

「シンヤはキャリア40戦、ゾロは柔術でずっと戦いMMAにその場を移してきた。僕はまだまだこれからだし1試合、1試合与えられた試合で結果を残すだけ」

――正直なところ、OFCだけで戦っているとイヴォルブ・ファイターとしてマッチメイクもそれなりに考慮される部分もあると思います。

「もちろん、OFC以外でも経験を積みたいと思っている。僕の最初のMMAの試合の相手は20戦目ものキャリアの持ち主で、ダン・ハーディにも勝ったことがある相手だった。ポール・ジェンキンス、ポール・デイリー、サミ・ベリックという英国のトップと戦ってきたファイター(リー・ドゥスキー)だったんだ。

僕には失うものはなかった。ただ、戦うだけ。負けてもしょうがないし、とにかくチャレンジしたかった。そして勝った。英国のイベントのチャンピオン(ジェイソン・ボール)だった。彼は僕と戦ったあと、エジソン・ベルトに2勝している。あの時は、みんなは『バカなことするな。まだ2試合目で、相手はチャンピオンだぞ』って言っていた。

構わないんだ。僕は自分を信じていた。勝ち負けよりもチャレンジしたい気持ちが強かった。そして勝てた」

(この項続く)

【Bio】
1986年3月8日、香港出身。
MMA戦績7戦6勝1敗。イヴォルブMMA所属、ライト級

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