この星の格闘技を追いかける

【on this day in】6月19日──2004年

19 06 04【写真】このとき、シャムロックは既に40歳だった(C)ZUFA

UFC48
@ネヴァダ州ラスベガス、マンダレイベイ・イベンツセンター
「なぜ、この大会を取材したのか考えないと思い出せなかった。シャムロックとキモが戦っている写真を見ても、自分がその場にいたことが思い出されない。他の試合写真──オープニングでGSPがジェイ・ヒエロンに勝利、マット・ヒューズがシャルートの三角狙いをリフトした──を見て、フランク・ミアの腕十字でティム・シルビアの腕がヒジからずれた大会だったと理解できた。渡米目的は今は亡き日本スポーツ出版で2004年に刊行された『総合格闘技&組技格闘技』選手名鑑用のアンケートを取るためだった。なぜ、他人の取らぬ皮算用の尻拭いをしなければならなかったのか、今思い出しても、笑うしかない人生で最もクレイジーな試みだった。不食とかした俳優さんが30日で9キロ痩せたとか言っているけど、この仕事の終盤、僕は1日3食摂っていてなお、1カ月で6キロ痩せた。月に40万ほどになる仕事を断って、月割りでは6万ほどにしかならない名鑑のためにラスベガスへ行った。今からすれば、気が狂っている所作(笑)。で、シャムロックだ。全日本プロレスに初めてやってくる前に、ロープを使って旋回しているウェイン・シャムロックの紹介記事を覚えている。パンクラスの旗揚げ戦も見た。この仕事を始める前、世界を放浪中にサクラメントにあったライオンズデンでフランクとの練習を見せてもらった。憧れの人だったけど、この時点ではまるで彼の試合に興味がなかった。僕はこの業界に入って、日本で一番強い人が食っていけない状況を知った。その選手を取材している記者の方が収入が良い。おかしな話だ。そんな世の中が少しでも是正できないかと──という想いは今も変わっていない。同時に豊かさを享受するのが、その選手一人、その世代だけでなく、将来につながってほしいと思ってきた。そんな風だったから、シャムロックとキモ戦、いや当時のシャムロックの成功に興味がなかったのかもしれない。あれから11年、明日、シャムロックがキンボ戦う。色んな意味でシャムロックには興味があるけど、そこがビッグショーのメインとなるBellatorのやり方は、やっぱりどうでもいい。フレイレ×ヴェイケル、マイケル・チャンドラーの方がよほど気になる」

on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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