この星の格闘技を追いかける

【on this day in】3月22日──2002年

My beautiful picture【写真】コルセットを巻いて、どの程度動けるかのみチェックしマッハはオクタゴンに向かった。結果は4R3分01秒TKO負けだった(C)MMAPLANET

UFC36
@ネヴァダ州ラスベガス、MGMグランドガーデン・アリーナ
「人生に『もし』はない。そんなことは分かっているけど、誰もが『もし、○○だったら』と過去を振り返ることがあるだろう。こんな年になって、凄く幸せな家庭を築いていることは百も承知、家族のおかげで自分があると分かっていも――『高校3年のとき、四国から短大を受けにきた子に一瞬にして熱を上げ、当時付き合っていた彼女に別れを切りだしていなければ、俺はどんな人生を送ることになったんだろう』なんて考えることがある。『もし』はない、あるのは『もし』がなかった今だけだ。そんななか、格闘技に関して、一度だけ『もし、あの時○○だったら』と過去を変えることができるなら、迷わず13年前の今日、いや正確にいえば13年前の昨日の出来事をなかったことにしたい――。もし、マッハがマット・ヒューズの持つUFC世界ウェルター級王座に挑む前日に腰痛に襲われていなければ。計量の日の朝、マッハは腰痛に襲われ一人で立ち上がることもできなくなった。計量でスウェットを脱ぐにも緊張感が走る。ドラッグテストで陽性になる可能性があると知りつつ、座薬を投入しオクタゴンに上がった。痛み止めが効いたのは正味1Rだけだろう。少しでも痛み止めの効果を延ばすためにアップなしで戦ったマッハ。UFC世界王座に挑む者が、ウォーミングアップもしなかったのは――きっと後にも先にも彼一人しかいないと思う。当時、まだまだ取材規制が大らかだったUFC。僕は中尾受太郎のセコンド・ラインセンスを取り、日本人初のUFC世界王者誕生の模様を控室から余すことなく伝えるつもりだった。それなのに悔しさばかりを伝えることとなった。もし、マッハに腰痛がなければ13年前に日本人UFCチャンピオンが誕生していたと、今でも思っている」

on this day in──記者生活20年を終えた当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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