この星の格闘技を追いかける

【on this day in】2月01日──2010年

01 02 10【写真】左からムエタイ・ファイターのダグラス・シウバ、MMAファイターのダニーロ・ビルフォート、柔道家のマカォン・シウバ、同じくMMAファイターのユーリ・ビルフォート。なぜか、苗字が違う格闘4兄弟の父が中央のインジオ。カーウソンの黒帯、伝説のバーリトゥード・ファイターはブラジリアに移住後に柔道を始め、同地区の柔道連盟の代表を2期務めている(C)MMAPLANET

Da Silva Family
@フロリダ州ボカレイトォン
「ホリオン・グレイシーがUFCを開催していなければ、MMAの今はない。そして、ブラジリアン柔術の世界的普及もなかった。つまり、今のような自分の人生もなかった。グレイシー一族に感謝している。感謝はしているが、同時に世の中に伝わっている柔術の歴史、ひいてはMMAの歴史はUFCの成功とともにホリオンが編纂したグレイシー正史だと思っている。史書は時代の覇者が創るものだ。ホリオンの唱える歴史でスポイルされた事実を拾い集める必要がある。ーロス&エリオ・グレイシーを経へず、コンデ・コマからルイージ・フランサ・フィリョ、そしてオズワルド・ファダに伝わった柔術が存在していたように。そんななかエリオからカーウソン、さらにヒクソンにバトンタッチされたバーリトゥード覇王伝もリオデジャネイロに特化した史実であることを教えてくれたのが、インジオことフランシスコ・ぺレイラ・ダ・シウバだった。ブラジル北東部の三都市ではバーリトゥードが毎週金曜日に行われており、人気の高いファイターは2週間に一度のペースで試合が組まれていた。インジオ自身、実に260度もバーリトゥードを戦ったという。そんな彼にとって、最強のファイターはエクリディス・ペレイラで、戦績は実に620戦無敗。カーウソンからも一本勝ちしている。体重無差別、1Rは10分。6Rで決着がつかない場合はドローというノルデスチのバーリトゥードはまるで文字を持たなかったインカ帝国の如く詳細が明らかになっていない。歴史の語り部の声を集めることも、僕ら仕事だと改めて痛感させられたインジオとの出会いだった」

on this day in──記者生活20年を終えようという当サイト主管・髙島学がいわゆる、今日、何が起こったのか的に過去を振り返るコラム。自ら足を運んだ取材、アンカーとして執筆したレポートから思い出のワンシーンを抜粋してお届けします。

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