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【OCTAGONAL EYES】デデ

2010.07.01

Dede
【写真】デデと初めて会ったのは1996年5月のリオデジャネイロ。ただし、この時、私は中央のジョン・ルイスのことしか認識ができず、デデとルイスの右隣りのジョン・ホーキの存在を知ったのは、1997年秋にネブラスカ州で行なわれたコンテンダースという組み技大会の時でした

※本コラムは「格闘技ESPN(旧UFC日本語モバイルサイト)」で隔週連載中『OCTAGONAL EYES 八角形の視線』2009年10月掲載号に加筆・修正を加えてお届けしております

文・写真=高島学

WEC44、その前日に行なわれた公開計量を終え、日本から出場していた大沢ケンジにコメントを貰っていた時、突然、ICレコーダーが回っているにも関わらず、ちょっとした奇声とともに、斜め後方から肩を抱きかかえられました。

一瞬、ギョッとして振り返ると、そこにはアンドレ・ペデネイラスが笑顔で右手を差し出し、その後ろではジョゼ・アルドもまた、極上の笑みを浮かべていました。

アンドレ・ペデネイラス、通称デデは「明日、楽しみに。またノヴァウニオンがベルトを奪うからね」と言って、足早に計量会場から去って行きました。

ノヴァウニオンは、リオデジャネイロのフラメンゴ地区にある柔術アカデミーで、デデがカーウソン・グレイシーの下から巣立ち、リオの郊外に残っていたルーツを異にする柔術=オズワルド・ファダを始祖に持つスブービオ柔術のヴァンデル・アレッシャンドリと合流し、創られたアカデミーです。


デデはグレイシー柔術の基礎にスブービオ柔術の足関節を加えたように、常に競技柔術、MMAで新しい技術を融合させています。

デデ自身は、「何も特別なことはない」というのですが、ジョン・ホーキというホイラー・グレイシーのライバルを擁立すると、その後も幼少の頃から彼に柔術の手ほどきを受けたヴィトー・シャオリン・ヒベイロ、スブービオ系ヴァンデル師範の元から合流したレオナルド・サントス+ヴァグネイ・ファビアーノ兄弟ら実力者を続々と育て上げました。

デデ自身がMMAで活躍した90年代終盤を終えると、2000年頃に柔術界でトップを究めた彼の教え子たちは、自然とMMAに進出して、期待通りの活躍を見せるようになっていきました。

ブラジル北東部のリオグランジノルチ州にあるキムラ・ノヴァウニオン、アマゾン河岸ジャングルの大都市のノヴァウニオン・マナウスなどから、MMA指向の若者が数多く集まり、今や軽量級では世界有数の人材を抱えるアカデミーとして、その頂点に君臨していまうす。

シャオリンは修斗世界ウェルター級王者に輝き、ヴァグネイ・ファビアーノがIFL世界フェザー級チャンピオンに、戦極で活躍中のマルロン・サンドロはパンクラス・フェザー級王者、ヴィクリー・シケリムはシャオリンの後を継ぎ、去る10月30日に修斗世界ウェルター級のベルトを腰に巻きました。

さらにいえば、UFC世界ライト級王者BJ・ペンもリオのノヴァウニオンに住み込みで柔術を学んだデデの教え子といえます。

そして、11月18日には計量直後のデデの言葉を実践しWEC世界フェザー級王者にアルドが就くことになりました。

そのアルドは「試合よりも練習の方がずっと厳しいから、打撃も寝技もトップ&ボトム、両方から攻めることができる」と、王者となった最大の要因を語っています。

前述した(BJ以外の)王者以外に、彼のスパーリングパートナーはハクラン・ディアスにホニー・トーレス、ジョズエー・フォルミガら明日のスター候補制を含め、15人は下らないといいます。

MMAワールドに軽量級最強の王国を築きあげたデデですが、アルドが王座についた夜だというのに、少し浮かない顔をしていました。

なんでも、今後のことについて、WEC首脳と会談を持ったところ、「ノヴァウニオン同士を戦わせることはできないし、しばらくは新たな選手をWECに出場できない」という通達を受けてしまったというのです。

貧しい子供たちの境遇を少しでもよくしたいとの想いでリオの市議会選挙に出馬したり、愛弟子サントスの敗北に納得できず、「カムバックしてヨコタと戦う」と宣言したこともあるデデ。そんな熱さで強くなった教え子たちに、試合の機会を与えるために自ら、プロ修斗公式戦をブラジルで開催してきました。

教え子を強くすることで、アカデミーの名前を上げ、この世界のトップに君臨してきたデデですが、強すぎる生徒を持つことで、新たな悩みごとが生まれてしまいました。

トップにある人は凡人には経験できない、贅沢な悩みを抱えていることを教えてもらったような気がします。

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