この星の格闘技を追いかける

【The Fight Must Go On】イベントプログラム・シリーズ─01─2003年4月5日、リトアニア・ブシドー 

Lituania Busido【写真】RINGSと修斗のロゴが並ぶ、ありえないことがリトアニアは普通に起こっていた (C) MMAPLANET

国内外のMMA大会の中止及び延期、さらには格闘技ジムの休館など、停滞ムードの真っただ中です。個人的にも大会の延期と中止のニュースばかりを書かざるをえない時期だからこそ、目まぐるしい日々の出来事、情報が氾濫する通常のMMA界では発することができなかったMMAに纏わる色々なコトを発信していければと思います。こんな時だからこそ The Fight Must Go On──第3弾はMMAPLANET夜明け前、イベントプログラム・シリーズ……その第1回として2003年4月5日、リトアニア・ブシドーのパンフレットを捲ってみたい。


初めてバルト3国のリトアニアを訪れたのは、大会前日の4月4日。ヴィリニュスに行くには、デンマークのコペンハーゲンで1泊して翌朝に乗継便で向かうスカンジナビア航空(帰国はスムーズに乗り継げる)か、オランダのアムステルダムへ向かい、往復ともかなりの長時間のトランジット強いられるKLMのどちらかを選択する必要があり、自分は前者を選んだ。

コペン到着後、空港の前の前にあるホテルにチェックインした足で、地下まで下りて空港駅から電車に乗り、海底トンネルを抜け対岸スウェーデンのマルメへ。アリアンシ系の柔術道場を取材し、そこで今もUFCで活躍しているイリル・ラティフィに会ったりもした。

ロシアに近い国でどのような格闘技大会が開かれているのか、今は亡きクエストの小暮社長を頼り、ZSTに来日していたブシドーのドナタス・シマナイティスに取材を申し込んだ時には、パンフレットの表紙にあるようにまさかエメリヤーエンコ・ヒョードルが出場するなど思いもせず、ごくごく普通のローカル大会を訪れる気持ちでいた。

それがヒョードル以外にも日本から所英男、今成正和、小谷直之、そして矢野卓見の4選手が出場するとあって、このイベントは自分以外にもゴン格から長谷川亮君、紙プロからガンツさんが現地を訪れていた……(と思う)。

それにしても不思議な大会だった。KOKルール=ZSTルール使用の純粋なリトアニア・ブシドーつまりRINGSリトアニアの大会を取材するつもりが、ZSTの全面協力を受けているには違いないが、パンフレットにはRINGS LITUANIAとともにZST、そしてドラゴン修斗のロゴマークまでがデザインされていた。

ドナタスはその後、修斗公式戦をリトアニアで主催するようになるのだが、これはもう当時の日本で考えられない全方位外交であった。

Lituania Busido 02所はアンタナス・ジャビズタスと戦い、ロープエスケープ(!!)の差で敗れる。レフェリーを務めたドナタスのミスジャッジで言われのないイエローがあったためロストポイント1-2で敗れた所が、試合後のパーティーでかなり酔っ払い、色々な顔を持つドナタスに「おい、そこかい!!」という面白い要求をしていたことも良い思い出だ。

小谷はミンダウガス・スミルノヴァスとドロー、ヒールのみならずトー・ホールドの禁止のがんじがらめルールをにこやかな笑顔で日本勢に強いたドナタスは本当に策士だった。レフェリングもそうだが、完全アウェイで軍服を着こんだ観客も少なくない会場で日本勢は容赦のないブーイングに晒されていた。

Lituania Busido 03そして今成&矢野✖レミーガことレミギウス・モリカビュチス&エリカス・ペトライティスのタッグマッチで館内のアウェイ感──いや敵対感情は打撃戦を避ける日本チームの戦いで頂点に達した。

そんな戦いにイライラを隠せなくなったレミーガがヒザとついて組んでいる、つまりグラウンド状態にあった矢野の顔面にパンチを入れる。

ローを効かされまくっていた矢野は、反則勝ちに持ち込もうと懸命にアピールを続け、レミーガのセコンドが相当イラつき始める。と、ついには今成の掌底が拳を握っていると注意されるや、身の潔白を身振り手振りで証明しようとする彼を見て、セコンドが何やら怒鳴り声をあげた。英語なのかリトアニア語なのか、何を言っているのか分からない。にもかかわらず今成は、何とそのセコンドに中指を立ててしまう。

中指を立てるのは威嚇ではない。暴力以上の屈辱を与えたのと同じだ。セコンドは今成めがけて突進すると、両陣営だけでなく屈強なセキュリティが一目散にリングへ。騒然となる館内──、それでも何とか試合は成立したが、セキュリティが踏み台にした肩の痛みはまだ残っている……。

そう試合が終了すれば、選手やセコンドは控室に戻ることができるが……たった1人の日本人として、リングサイドに残される自分はたまったモノではない。ここからは完全に自衛本能、まだ険悪な空気が残るリングを見て、矢野に『4人で肩を組んでくれ』と必死に叫んでいた。そしてリングサイドに上がり、カメラを彼らに向ける。すぐに気を効かせた矢野に呼応したレミーガが、今成の肩に腕を回す。矢野もペトライティスに右腕を肩に置いている。ここで観客席から拍手が起こり、心の底からホッとした。

この日のメインで皇帝がストレートフットロックでタップを奪ったこと、この4人の大団円、そして大会後の夕食の席で所に「僕がどうやったら強くなれるでしょうか」と尋ねられ、『修斗でクラスBから戦えば』と返答した、自分の見る目の無さを決して忘れることはないだろう。

それにしてもあれだけの興行を打てて、打撃も寝技も光るモノを持っていたドナタス軍団から、世界のMMAで活躍する選手が生まれなかったのは一体どういうことであろうか。国内でファイターとして生活できる状況が、彼らに世界進出という欲望を抱かせなかったのであるなら、格闘家として余りにも皮肉なリトアニア格闘技界の隆盛だったと思わざるを得ない。

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